こんにちは!

毎年1123日の勤労感謝の日は、勤労してくれる人に感謝する日?勤労できることに感謝する日?とずっと不思議に思ってきました。

むしろ普通の働く日本人には、祝祭日の内容よりも「ああ、おやすみだぁ~」と休日がうれしい気持ちのほうが大きいかもしれませんよね。


スポンサーリンク



1123日は「勤労感謝の日」として国民の祝日となっていますが、本来は新穀を供えるお祭りの日です。

宮中の神嘉殿(しんかでん)では、天皇陛下御親(おんみずか)ら新穀を神さまに捧げ、その年の収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)が執り行われ、全国の神社でも斎行されます。

このように、日本人はお祭りを通して神さまの恵みに感謝をささげてきました。

神社本庁コラムより

 

私の年代は両親が戦前戦中を生きているので、

私が子どものころには国民の祝日も

「ああ、勤労感謝の日?本来は新嘗祭(にいなめさい)だよ」

211日は紀元節(きげんせつ)と言っていた日だよ」と祝祭日のたびに聞かされました。

勤労感謝の日というお休みの日の名称には戦後の色々ないきさつがあるから、

毎年心にしっくりこないのかもしれません。

 

でも新卒の就職活動解禁日の変動、終身雇用制度の崩壊、過労死など

社会問題が取りざたされる昨今ですから、

働くこと・仕事について考える日にするのも良いかもしれないと思います。

今日は私が今まで就いてきた仕事で感じてきたこと、

そして仕事に対する気持ちが変わってきたことを書きたいと思います。



 

仕事を選ぶということ

中学生一年生で将来の仕事を決められる?

中学一年生の時に将来の仕事について考える授業がありました。

担任の先生が教室の一列7人ほどに順番に将来就きたい仕事を言わせていきました。

野球選手、保母さん、警察官、と皆ちゃんと憧れの職業があったのか、即答していきました。

 

私は列の一番後で、何も言えませんでした。

働くことは生きていくために当たり前だと思っていました。

でも、漠然としていて一体何をしたいのか、

何ができるのかを中学一年生の私の頭では考えられませんでした。

 

黒板にチョークで職業を書き出していた先生は、

私が答えられないのを見て「お母さん」と書きました。

とてもショックだったことを忘れられません。

なぜだかわかりません。

 

母は好きだったし母のように家事も仕事(自営業だった)もテキパキできたらすごいとは思っていても、

大人になったら結婚して母親になるって、世の中の決まりなの?

なんだかつまらない、他に道は無いの?とひどくがっかりしたのでした。

決められない自分にも腹が立つというか。

 

仕事についていろいろな選択肢があることをもっと知りたかった時代でした。

 

 

アルバイト  テレホンショッピング電話受付

学生時代のアルバイトでデパートのテレホンショッピングの電話受注をやりました。

今ほど通信販売は多くない時代です。

テレビやカタログで紹介された商品を、実物を確認もしないで買う人がいるってすごいなー、と思ったものです。

電話のやり取りに慣れたのも収穫でした。

華やかに見えるデパートの裏側も少し垣間見て、デパートには就職しないぞと思ったものです。

正社員で新入社員 営業事務

大学生のうちに通訳ガイド免許を取りたかったはずなのに、

努力が足りないのと道しるべを見失ってどうしてよいかわからずに、そのままあきらめてしまいました。

周りの友達が次々就職先の内定を決めていく中、

大学内の就職センターの助言を受けて就職したのはメーカーの営業事務でした。

まあ、いろいろありましたけど。

夫ともその会社で出会いましたけど。

そこでの3年間で事務経験を積んだことは50代の今に至るまで仕事を得られている役に立っていると感謝しています。



 

着物着付け

結婚が決まり、きもの着付けを覚えたいと着付け教室で習い始めたのは、

手に職を付ければ結婚出産後も着付け士として活動できるかと思ったからでした。

でもそんなに甘くありません。

着付け学校の師範まで取得しても、仕事として使うには講師になるか結婚式場に勤めるか。

けれども美容院ごとの着付け方法が違うので、

着付けはヘアセットもできる美容師さんがやるものだと思います。

結局成人式の着付け補助をやっただけで終わり。

着物は好きだけど、

子どもの入学式卒業式に自分で着られてよかったかな、でおしまいにしました。



 

個別指導塾講師

40代の時に一年ほどやりました。

教員免許を持っているか教職課程を修了した人がやるべき仕事だったなぁ、と思います。

私は教えることも子供も好きじゃないことがわかりました。

やはり好きでないことは仕事として続きません

求人情報では時給が高くて魅力なのですが、

授業時間以外に結構手間の掛かる準備時間や

終了後のレポート・トレーニングの時間は無給です。

それに勤務時間は夜です。

生徒が学校を終わってから塾に来るのですから当たり前ですけど、

わたしのように夜の勤務が苦手な人には向かないと思います。

 

添乗員 通訳案内士 

40代で国家資格の通訳案内士試験に合格しました。

外国人旅行者に日本旅行を楽しんでもらう仕事です。

長いこと憧れて勉強し練習し努力して得た資格です。

この仕事を長く続けて行きたいと思いました。

初めての仕事は外国人研修生に付き添って14日間家を空けました。

仕事が明けて帰宅したときに、浦島太郎になった気分でした。

家族は協力してくれて母がいない間の家事を分担してやってくれていました。

親離れ子離れには良いかもしれませんが、私は家から長く離れての仕事はできないかもと思いました。

新人通訳案内士は仕事を得ることは難しかったので、

国内バスツアーの添乗員で経験を積もうと思いました。

経験にも勉強にもなりました。

年齢にも関係なく、50代でも60代でも体力気力がある限りできる仕事だと思います。

 

未経験からはじめる!海外国内ツアーコンダクター【旅行綜研】

クラブツーリズム テーマ旅行

派遣社員 データ入力事務 英文事務 

添乗員・通訳案内士の仕事を本格的に始めようかと思った矢先に夫がうつになりました。

気力が無くなり暗い顔をして会社を休職しました。

私は長い時間家の外に出る仕事はできないと思い、派遣事務に転職しました。

派遣事務は昼間の仕事で土日は休み、残業もありません

新しい職場では人間関係や仕事の分量などで不満が無いわけではありません。

でも3年以上続けていられるということは、

私の働く場として合っているのかもしれないと思うようになりました。




 

仕事に対する思いは悩みつつ変化する

働くことは生きていくために当たり前だと思ってきました。

働くなら自分のやりたいこと、あこがれることを実現してみたいと思っていました。

夢を実現するために勉強をし、練習もし、努力をしてきました。

 

  • 思うように仕事に就けないこともあり、力量が足りないこともある。
  • 自分一人の力ではかなわない夢もある。
  • 実際やってみて何か想像していたものと違うと思うこともある。
  • やってみて、本当にこれがやりたかったことなのか疑問に思う。
  • 私が本当にやりたかったこと、めざしていた暮らしはどんなものだったのか。

 

いろいろな職種を経験してきたことで、自分にできることとできないことがあることを自覚しました。

 

今は内向きかもしれないけれども、家族と一緒にいられる時間を

穏やかに安心して過ごせることが私の仕事をする目的でもあり望みでもあると思うようになりました。

 

 

守りに入っているのかもしれない。でもそれが気持ちが一番落ち着く働き方だと思うようになったのです。

いろんな働き方があっていいと思います。

毎日を気持ち穏やかに過ごせる働き方をして、気持ち良く生きていきましょう。
国内&海外の格安ホテル検索『トリバゴ』